どこまでいっても自分病
気付けば、自分、自分、
自分がかわいい
自分を守りたい
自分を特別扱いしたい
そんな思考のクセがはびこっている人がいる。
そういう人は、周りから見ると、
視野が狭い
不当にわがまま
暗い
空気読めてない
そんな風に見える。
思考のクセは、なかなか除去できないもの。
そもそもそのクセを自分で認識することが難しい。
自分が自分が、というのは、矢印が自分ばかりに向いている状態。
そしてその矢印の状態を作り出しているのは、
自分の中身の部分、司令塔でありOSの部分、いわゆる、「自分自身」
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自分 > 他者
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produced by「自分自身」👿
こんな感じで関係性を保とうとしている。
なぜか。なぜ、こんな関係性を作ろうとするのか。
それは、自分の承認欲求が満たされていないから。
また、その承認欲求を満たす他の方法も知らないから。
根っこに立ち返ってみる、
何のために生きてるか、
自分を活かしきるため だ。
活かす、っていうのは、他者に向けて行われることのはずだ。
自分を、誰かに、何かに、活かす。
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自分 → 他者
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planned by「自分自身」
それはつまり、自分が他者に働きかける、というベクトルになる
ということ。
他者に働きかけて、自分を活かす。
相手にとっての、有意な働きかけを行う。
働きかけなければ、他者に向けて何かを行わなければ、
自分を活かすことはできない。
それでは何のために生きているのか、わからない。
何のための時間なのか、生なのか、わからない。
他者に働きかけることから始まる。
それはちょっとした挨拶だけかもしれない、
仕事の提案かもしれない、
飲みの誘いかもしれない、
映画のレコメンかもしれない、
気の利いたジョークかもしれない、
1mmでも、自分を活かすことができれば、成功だ。