何のために生きてるの問題
ちょくちょく立ち返る、
何のために生きてるのか という問い。
現時点の回答を、打ち出しておこうと思う。
何のために生きてるか
それは、熱 を感じるため。
富でもなく、
名声でもなく、
自分の心で、熱 を感じること。
自分が突き動かされるような、熱 を感じること。
それは情熱であり、ワクワクであり、ドキドキであり、ぐわーっきたぁー! である。
その 熱 を、毎日、毎瞬、感じること。
そのために、生 がある。
じゃあ次の問いは、
その 熱 は、どうやったら感じられるのか。
自分の熱の発動スイッチがある。
スイッチは3つあって、
ひとつは仕事領域のもの、
他の2つはプライベートのものだ。
この3つのスイッチを、押したい。
何度も押したい。
連射したい。
このスイッチを、ずっと見つめておく。
自分の時間の使い方が、このスイッチにつながっているかどうか、
つながっていないなら、なんとしてでもつながるように、
目の前の状況を変える、あるいは捉え方を変える。
大志が無くてもかまわない。
大志ありきじゃあない。
自分のスイッチありきだ。
そのスイッチの先に、志がそのうち現れることもあるだろう。
けどそれを必死に探そうとはしない。
ただ必死に、スイッチを押しまくる。